■勝手に名歌選17

何となく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて
西行

久保田淳氏の「花のもの言う」(岩波現代文庫)という本の最初にこの一首が挙げられている。「芹には、及ばぬ恋という連想が働く」という一文を読んで、無知な私はへえ、と思ったものであった。
身分の低い男がたまたま后の姿を見てしまった。后は芹を食べていた。以来、男は恋わずらいとなり、結局死んでしまう。遺言は、芹を供えてくれ、というものだった・・・。そういう故事があるそうである。
さらっと詠まれたようなこの歌、西行にも深い思いがあったのではないか、と私はなんとなく思う。
というのも、白洲正子「西行」(新潮文庫)で紹介されていた、若き日の西行(佐藤義清)自身の悲恋の挿話が印象に残っているからである。鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子がその相手。むろん本当かどうかなどはわからない。しかし、保元の乱の原因にもなった宮中のドロドロ愛憎劇、その中心にいたこの女性ならば、ひょっとして・・・と(下衆の何とかかもしれないが)想像力を刺激されるのだ。西行自身の「傷」があればこその共感の歌として読みたい。
塚本邦雄「西行百首」(講談社文芸文庫)によれば、西行の「山家心中集」という歌集では掲出歌に続けて「寂寥のテーマを連ねてゐる」。中でも、

吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらん(「新古今集」入集)

あかつきの嵐にたぐふ鐘の音を心の底にこたへてぞ聞く(「千載集」入集)
この二首などはさすがに名歌、はっとするほどいい歌だ。